ミャンマー祭り2014

ミャンマー祭り2014終了しました

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ごあいさつ

安倍昭恵名誉会長が語ったミャンマーへの尽きぬ思いをご紹介します。

ずっと、日本の友人だった国

私がミャンマーに関心を持ったのは主人(安倍晋三首相)がきっかけです。主人たち国会議員の皆さんが「アジアの子供たちに学校をつくる議員の会」という会を運営しています。往時は50人ほどのメンバーがいて、毎年、アジア各国に学校を寄贈していました。
私も、議員の皆さんの活動を知るにつけ、何か自分にできることはないかと思うようになりました。ある日、主人に「私も学校を作りたい」と相談しました。そうしたら、「ミャンマーが良いのではないか」と答えたのです。「親日的な人々が多く、日本が支援していくべき相手はミャンマーではないか」というのです。その頃、私はミャンマーがどこにあるのか、どんな国なのか、詳しくは知りませんでした。

主人は過去にもミャンマーに行きました。最初は中曽根総理大臣時代に、父の安倍晋太郎が外務大臣をしており、中曽根首相に同行しました。当時は、アジア各国はどこを訪問しても戦後補償の問題が山積していました。行く先々でいろいろな要求を突き付けられていたんです。最後に訪問したのがミャンマーで、中曽根首相は帰国しなければならず、父と主人がミャンマーに入国しました。
すると今までの国と違って大歓迎で、おまけに日本語の歌として軍歌まで飛び出しました。軍歌がどうこうということではなくて、現地の人が歌える日本語がその当時は軍歌だったということです。それくらい、日本に良い感情を持ってくださっていた。主人は身を持ってその感動を体験したことで、「何かしてあげたい。こんな国にこそ、日本は支援するべきだ」と思ったそうです。
ミャンマーで開放路線が進みだしたことによって状況は激しく変わりはじめていますが、数年前までは本当に国と国のレベルでの関係は難しいものがありました。でも民間としては大いに何かしたいと思っていました。

私がミャンマーに通いはじめる前にもう少し、助走期間と出来事がありました。
作家の曽野綾子先生に、アフリカにおける貧困の視察に連れて行ってもらったんです。2004年の日本財団の視察に自分でお金を払って同行し、現場を見させていただきました。
ツアーでは、アフリカの貧しい病院や学校などを視察してまわりました。曽野さんは厳しい女性です。そしてとても大事なことを教えていただきました。
『寄付の仕方』です。必ず、信用ある人に直接渡さないといけない。そうしないとそのお金はポケットに入れられる。必ず渡した後に実際に見に行って、実際に建物が建ち、そして適切に使われているかを確認する。
私は間近で曽野先生の活動を見て、「寄付というものはこうやってするんだな」と学ばせていただいたんです。自分のお金だけならばまだしも、人さまの大切なお金を預かっているので、使われ方にも厳しくする。
東日本大震災でも善意のお金が正しく使われていないケースが多々あることが発覚しています。曽野先生はそういうことにならないように厳しく管理しておられました。
彼女は敬虔なクリスチャンなので、シスターや神父さんにだけお金を託し、自分もその運用をチェックしていました。

アフリカでそういう貧困の現場と、外部の人間の関わり方を初めて見せていただきました。
私は悲惨な状況を想定してその場に臨みました。現場では確かにそういう一面がありました。でも、それだけじゃなかったんです。
私が何を見たか、お分かりになりますか?
目を輝かせて元気に走り回る子どもたちの姿です。
彼らのキラキラ光る瞳を見て、「貧困って何なんだろう?」と思いました。
曽野先生があげた飴玉を子どもが舐めます。それをまた包み紙に戻すんです。その子たちは「これは兄弟に持って帰るんだ」と言います。
今、ミャンマーに居てもそういう光景があります。

そんな子どもたちの姿の中に、「この貧しさの中に、日本では見られない光景がある」という事実を理解したのです。
それから、私は子どもたちのために何ができることはないだろうかと考えるようになりました。でも、アフリカは、ちょこちょこ行くには遠いですから、アジアと関わろうと思ったんです。でも、アジアの中でそれはどこだろう?と思っていました。

そんな経緯があり、そして、主人からの助言を得て、私は主人に「私もミャンマーに学校を作る」と宣言しました。ご承知の通り、太平洋戦争では19万人がビルマで亡くなりました。そんな人々がいて、今の私たちがある。そういうことも含めて、ミャンマーに学校を建てたいと思ったのです。

私は何も知らなかったが、何かしたかった

関わると決めた当初、実は、私はミャンマーに関係する人をまったく知りませんでした。
学校の建て方も知りませんでした。どこかの団体にお金を渡して建設をお願いすることはできたのでしょうが、曽野先生の教えにのっとり、私は現地に行き、現場を知りたいと思いました。
それからは、周囲に向かっていつも「ミャンマー、ミャンマー」と言い続けていました。
そうすると、私は、神様がそれを聞いていたのだと思うのですが、そんなことを言いはじめたらミャンマーに関係のある人たちが集まってきて、メコン総合研究所の岩城良生さんに出会うことができました。

NPO法人メコン総合研究所は10数校の学校を建設しましたが、私はそのうちの3校を作りました。
毎回、ミャンマーに行って感じることは、幸せって何なんだろう?ということです。
日本では東日本大震災で皆さんの意識が変わって、そういうことを考えられるようになったと思うのですが、私はミャンマーに行って、ミャンマーの人たちに触れ合うようになって、その思いにつながることを、沢山感じてきました。
関口照生先生とは、もともとワインの飲み友達で、たまたまワインの席でミャンマーの話をしたら、先生もミャンマーに行ったことがあるので協力するよと言ってくれ、それがメコン総合研究所の活動へとつながっていきました。
岩城さんもメコン総合研究所の前身団体で寺小屋を建設されていましたし、私たちとお付き合いの深い浄土宗の先生方もすでに建設されていました。

力をもらったのは、私の方だった

最初、私は紹介された建設の候補地を2カ所回ってきました。
屋根だけで壁がない小屋を学校にしていたり、子供の人数がとても多く、小中学校が併設されている場所に建設することにしました。
日本に帰り、様々な方面に呼びかけ、学校を建設できました。私はその学校の開校式には行けませんでしたが、後日訪問しました。子どもたちの勉強する姿を見てやって良かったのだと思いました。
最初に行ったときには、子どもたちは本当に粗末な服装だったし、モノもない。しかし、皆、目を輝かして元気だった。そのエネルギーをたくさんもらって、「私はこの子たちに何かしてあげたい」という力をたくさんもらって帰国したのです。

今の日本とミャンマーの違いも沢山あります。
ミャンマーには虐待もなければ、自殺もほとんどないです。お年寄りは、平均寿命は日本の方が長いでしょうが、それでも、高齢でも認知症になっている人がほとんどいない。皆、自分の事は自分でやっている。
今、日本が抱えている社会問題はミャンマーにはほとんどない。もちろん、貧しくてその日食べるのに苦労する人たちは沢山いますが、でも、子どもたちがいじめられたり、虐待されることはまずない。じゃあ、そういうことって、どっちが幸せなんだろう?と思います。
ミャンマーから帰ってくると、日本はとても便利です。でも便利は良いけれど、皆の忙しさについていけなくなっていたりします。
日本は本当に良い国で大好きですが、でも日本はバランスを崩していると思います。その崩れたバランスを何とかしようとしているので、どこかがいびつになっている。それが外れるとガタっと崩れてしまうんじゃないか。そうなる前にバランスを調整しなくちゃいけないんだろうと思います。
バランスというと、何がバランスなの?と言う問いかけも生まれます。
私は女性なので、まだまだ男性社会であり、西洋と東洋の違いもあり、環境のバランスが崩れて大変。経済も大変。格差も広がっている。こういうことが、バランスが崩れていることだろうと思います。
そのバランスが崩れた状態と言うのが、地球規模の問題になるのですが、でもそれは、ひとりひとりの内面の崩れに一致しているのではないかと思います。
自分の中身のバランスが回復すると、やはり社会のバランスも回復するのだろうと思います。そういう意味でも、ミャンマーは日本よりもバランスがとれている面があると思います。

デルタ地帯にある、いろんな命が共存する社会

私が学校を作った地域のひとつは、ヤンゴンから車で2時間くらい走り、そこからさらに小舟で1時間くらい進むデルタ地帯にあります。
日本では考えられないくらいのんびりした時間があります。
ここでは、犬も豚も、人間も、混在しています。皆が当たり前のこととして、あたりを歩きまわっています。舗装されていない道路を歩き、そこにある家は日本からすれば簡単な粗末な家です。でも皆が助け合っています。犬はあたりを歩いている鴨やアヒルの子どもを獲って食べることもなく、人間が動物をいじめることもなく、犬は私たちが船から上がっても吠えるわけでもなく、何かが攻撃の意思をもって近寄ってくるわけでもなく、いろんな命が混在したままで、生活しています。
日本だと全部分けて考えるのですが、あちらでは皆が一緒に生活をしています。たまに、何かが落ちてきたと驚いて振り返ると、人間の子どもが木から飛び降りてきたり。「ああこれが、人間が暮らしている現実なんだ」と思っています。

教育支援は無条件で良いことなのか?

実は、私はこの数年来思っていたことがあります。
日本は欧米の価値観を受け入れて社会を作っていますが、私たちは果たしてしあわせなのでしょうか。経済は発展したけれどしあわせなのかと、根本的なところで疑問を持っています。
ブータンから始まったGNH(グロス・ナショナル・ハピネス)という基準があります。しあわせの点数をつけると日本は経済的発展にくらべて多くの人がしあわせだとは思っていないこともわかっています。
そうすると、子どもたちにとって教育とは何なのか。
教育の機会を平等に与えてあげるということは必要だが、私たちの価値観が正しいのか?
年間3万人が自殺しているが平均寿命は延びている。
平均寿命は延びているが痴呆症の方々が増えている。
長年働いて稼いだお金も医療費に消える…。
私たちがそういう結果をもたらす教育を押し付ける。
学校を作って教育を広めることが正しいのかと、考えているのです。
ミャンマーは多民族国家ですから、少数民族がたくさん存在します。皆素晴らしく個性的な恰好をしています。でも、少数民族の子どもが教育を受けて標準化されていくと、例えば耳に穴をあけることについて宜しくないだとか、標準化された価値観を学んでいくかもしれない。
関口先生の写真にもありますが、ビーズで装飾した民族衣装を着た女性。彼女たちが教育を受けて賃金の高い職業に就きたいと思うようになったら、あのような伝統的な衣装がすたれていくのではないか。そう思うと、何が良いことなのかと悩んでしまうのです。

ただ、間違いなく優先するべきことは、相手の生活は相手のものであるという前提です。その場所で共に暮らしているのではない、外部の人間にすぎない私たちが、自分の都合で自分の言い分を押し付けてはならない。ということです。

寺小屋支援に置き換えると、支援している側にとっては、多くの場合、「建てて終わり」です。事実、教師の給与、修繕費用の積み立てまでを含んで予算を計上できる団体はほとんどありません。でも、当たり前のことですが、現地では「学校が建ったら、ずっと続く物語のはじまり」なんです。立ち位置が違うと、学校が建つことの意味が全く違ってくるんです。
だから私たちは、一つの試みとして、自分たちで建てた学校に田んぼを寄付しました。子どもたちが田植えをするのではないのですが、近所の人たちが田んぼを耕して稲作をします。立派に実っている様子も実際に身に行きました。
お米を売って、先生の給与を出す。あるいは、そのお米で学校給食を出す。そういう使われ方をします。豊かさしか知らない人には実感しにくいことでしょうが、学校給食って、子どもの未来を作り、国の未来を変えてしまう影響力を持っています。

夢をもつこと

子どもたちには幸せになる権利がある。教育を受ける権利があります。
子どもたちは本当に勉強が大好きなんです。
私たちは約30校の調査をしたのですが、ほとんどの学校で子どもたちは、勉強が大好きという答えがあったんです。

子どもはどこに生まれても夢を持つ権利があります。
ミャンマー語には「夢」という言葉がないそうです。日本で使う、目標やあこがれを意味する「夢」という言葉はないそうですが、私は、ミャンマーの子どもにも「夢」を持ってほしいと思っています。 私が将来何になりたいですか?と質問した時、子どもたちは、5つくらいの職業しか知りませんでした。軍人、学校の先生、ジャーナリスト、お坊さん、お医者さん。それくらいしか選択肢がなかったんです。世の中にはもっといろんな仕事があるんですよと教えてあげたい。そして、教えてあげたいと思いながら、それがこの子たちにとって幸せなのかと、立ち止まって、悩んで、泣かされて。戸惑いながら進むことしか、私にはできることがないんです。

傲慢さの自覚と、恩の自覚

私たちと協働していただいている今泉記念ビルマ奨学会の今泉清詞会長という方がおられます。今泉会長は、大東亜戦争の時に従軍された経験があり、それゆえに、恩返しという意識を持ってミャンマーに関わっておられます。

今泉会長がこんな話をされました。
――――「今、一般的には支援の在り方について、人道的な感覚として、相手が貧しい国だから、支援してやろうじゃないかという認識だと思います。しかし、私たちからすれば、『恩返し』なのです。戦時中、32万人が進駐して19万人が戦死し、13万人が帰国した。19万人の遺骨はほとんど帰っていません。現地の人々に埋葬してもらいました。私たちは日本にいながらにして、19万の英霊に対して『安らかに眠れ』と言いますが、やはりミャンマーの大地で安らかに眠るには、その国が繁栄していないと彼ら英霊も安らかに眠れないのです。そのために、ミャンマーが平和であってほしい。繁栄してほしい。復員した13万人は、皆、同じことを言います。『もし、ミャンマーでなかったら、私は帰国できなかった』ということです。太平洋戦争のことを勉強した皆さんならご存知の通り、ビルマ戦線の悲惨さは筆舌に尽くしがたいものがあります。食糧がない私たちに、現地の人々が自分の食べ物を分け与えてくれた。このことを思うと、『相手が貧しいから支援してやろう』なんて、とんでもない傲慢ですよ。若い人にも、あの国の人々が我々に命を与えてくれたのだという事実を踏まえて、ミャンマーを見てほしい。気持ちが逆なんです。与えてやっているのではない。恩返しなんです。我々の世代は、皆、そう考えているのです」――――。
私は今泉会長に「恩返し」という言葉をもらって、そういう気持ちが私の中にもあることが分かりました。「ミャンマーは他の国と違う」。ミャンマーと関わった人たちが異口同音に語る感覚の根底には、今泉会長が語った「恩と恩返し」があるのでしょうね。

ミャンマーの発展で試されているのは、日本のほうですよ

民主化が進んでミャンマーはちょっと前よりもだいぶ変わりました。
今は、ホテルもとりにくい。飛行機もとりにくい。道は車であふれている。世界中がミャンマーに注目しています。
日本でも、今まではミャンマーに見向きもしなかった人達が、何とかミャンマーで仕事をしたいと、大変に興味を持っています。
そうやって皆がどっと入りこんで、今は土地の値段も上がってしまっています。
そんな状態でどうやって、今までの良さを守るのか。このソフトの部分でも日本がお役に立てることがあるのではないかと思います。
戦後、経済発展する中で、もちろん、立派な国になった。経済大国になった。でも、どこかで間違えた、失ったモノがあるとするならば、それをミャンマーの人たちに伝える。「私たちはこうなったけれど、ミャンマーはそうならないでね」と言うことはできる。
私たちは学校を支援しているのですが、「何かをやってあげている」という感覚はまったくなくて、むしろあの人たちからいろんなことを教えていただいているのです。
私はいつも、これからミャンマーに行って仕事をしたいという人に出会うと、「安い労働力を求めて、他の国の人件費が上がってきたからミャンマーに行くということだけは絶対にしないでください。ミャンマーからいろんなことを教わる。本当の意味でお互いに助け合うという態度を貫いてください」とお願いしているのです。
これからミャンマーに関わるビジネスマンがおられるのでしたら、安い労働力だけを目的にした商談はしないでください。お互いに誇りを尊重し、助け合える形を見つけてください。ミャンマーの経済発展は、ミャンマーが試されているのではなくて、そこに関わる日本人が試され、そして育てられているのですから。

Fin.

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助成

・国際交流基金
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主催

  • ミャンマー祭り実行委員会
  • NPO法人 メコン総合研究所
  • 駐日ミャンマー大使館
  • 公益財団法人 浄土宗ともいき財団

後援

  • 外務省
  • 観光庁
  • 港区
  • 日本経済新聞社
  • テレビ東京
  • 日本商工会議所
  • 株式会社JMAホールディングス
  • 一般社団法人情報サービス産業協会(JISA)
  • 一般社団法人 日本情報システム・ユーザー協会(JUAS)
  • 日本貿易振興機構ジェトロ(ジェトロ)
  • 独立行政法人情報通信研究機構(NICT)

協力

  • 東京プリンスホテル
  • 「東京写真月間2014」実行委員会 (公益社団法人 日本写真協会)
  • 拓殖大学

企画協力

  • 特定非営利活動法人 アース・アイデンティティ・プロジェクト

事務局のご案内

『ミャンマー祭り』実行委員会事務局
(公益財団法人 浄土宗ともいき財団内 )

eメール
info@myanmarfestival.org
担当 伊藤 紗瑛子/山下 千朝
所在地
〒105-0011
東京都港区芝公園4-7-4 明照会館3F
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03-6278-7464 平日9:00~17:00
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